阿炎政虎 出身:埼玉 生年:平成6年 所属:錣山 身長:185センチ 体重:152キロ
平成30年版はこちら

<立合い分析>
長い腕を生かしたもろ手付きで先制してから、突っ張り・喉輪・左右への変わり身など能動的かつ自在に二次的な展開を作り出し、優勢に持ち込んでいく。
手足の長い典型的なソップ型に随分と肉が付き、突きの威力が増したことや、以前は定位置で相手を止めるだけに近かったのが、左から半歩でも踏み込めるようになったこともあって、立合いからの流れで相手を押し込める確率が上がってきたのも急成長の要因だろう。


踏み込み足:左 もしくは踏み込まずにもろ手突き
手つき:右→左の順に下ろして相手を待つのと、相手に待たせてチョン立ちで出るのとの併用だが、基本線は前者。左手の手つき不十分が散見される。
呼吸: 以前は利己的な呼吸具合が目立っていたが、おおむね改善されている。


☆立合い技一覧
もろ手突き
長い腕を生かしたもろ手突きで先制を狙う。9割以上がこの立ち合い

もろ手+ぶちかまし
頻度は多くないが、琴勇輝のようにもろ手で当たりながらかまして行く立ち合いもある。

変化
左右両方への変化があり、変わりながら上手を取りにいくことも。



<取り口分析>
阿炎といえば激しく動きまわっての撹乱戦法・懐の深さや運動能力の高さを生かしての逆転技が代名詞という時期もあったが、番付の上昇に比例し、突き出し・押し出し(突き倒し・押し倒し)という決まり手も増えているのが地力向上を示す何よりの証左である。

課題は足の長い力士特有の、つま先立ちながら上突っ張りで出て行くこと。この体型の人に「膝を曲げ、すり足で出て行く」ということを徹底させるのは決して簡単ではなく、どうしても突ききれずに引いてしまうケースや、押し込んだ土俵際で胸や腹を押そうとするのだけど、足を送れないまま頭だけを下げようとしてかわされるケースが見られる。さらにこの人の場合は右の突きが強く、右に頼って右半身のようになりながら出ようとする(あるいはもろ手で突きながら押そうとする)ことも多いので、余計に宛てがいながら左へいなされると崩れやすい傾向にある。
この点、師匠の錣山親方も左手を使い、両手を回転させることで手足を連動させ、足を交互に配る意識づけを徹底させているよう。その甲斐もあり、回転を生かした突っ張りで相手の顎を上げてから強烈な右の喉輪で後退させる理詰めの内容も場所を追うごとに目立ち始め、元年下半期には小結で3場所連続勝ち越し(計25勝)という好成績を収めている。

四つに関しては、あくまで流れの中で取る形ゆえ、どちら四つという型にはめ込むのは難しく、動きながら上手を取って振り回すか、ハズと合わせながら寄るのが主なパターン。
おっつけながら・下から手を使って…というのではなく、変わりながら(or下がりざま)・上から取る上手なので位置も深く、あくまで急戦狙いの戦法だ。



☆得意技一覧
①右喉輪
駆け出し期の曙を思い出させるほどに猛烈な威力を放つようになってきた。突っ張りとのコンビネーションがハマることで手繰られたり跳ね上げられたりするケースも減少。

突っ張り
右の強さに頼らぬ、左手・左足も連動するリズミカルな突っ張りの向上あってこそ、強烈な右喉輪の効能も倍増する。元年九州の北勝富士戦は120点の出来だった。

ぶちかまし
上述した通り、足を送れないまま頭だけを下げてかわされるような詰めはまずいが、①②を駆使した攻めの止めとして、相手と正対した状態で低く頭から当たり直して押し上げることができれば言うことなし。

つきつけ(体当たり)
右偏重の攻めとなってしまい、土俵際で手繰り・とったり気味に自分の右へ回り込まれそうなとき、腕を曲げて素早く自分の体を相手につきつける。データには現れない地味な技術ではあるが、この特技によって逆転負けを防ぎ、勝ち取った白星は数多い(直近の元年九州では髙安戦と碧山戦に現れた)。

引き・叩き
元年九州は幕内12場所目にして初めて決まり手に叩き込み・引き落とし・突き落としがないまま楽日を迎えたが、最後の最後、物言いがつく微妙な勝負の末に叩き込みで御嶽海を下してしまった(?)
引き・叩きを用いるまでもなく勝てる相撲は増えたが、攻め手を封じられ、引き・叩きを出さざるを得ない間合いとなって敗れる内容は依然少なくない。

回り込み
高い身体能力を生かした軽やかな身のこなし。

上手投げ
重厚な四つ身の攻防から生まれるのではなく、あくまで流れの中で繰り出されていく性質のもの。
突き押しの攻防中、リーチを生かして深い上手を引くや下がりざまに放り投げる。決まった体勢によっては上手出し投げとなることも。