八角部屋

<所属年寄・裏方一覧>
師匠 八角(元横綱・北勝海)
年寄 陣幕(元幕内・富士乃真)
参与 大山(元幕内・大飛)
行司 木村亮輔(幕下格行司)
行司 悠真(序ノ口呼出)
床山 床路(三等床山)


<近況>
・同学年コンビの北勝翼と北の若が順調な出世。鳴り物入りで入門した高校横綱北の若に追い抜かれまじと中学卒業後入門の北勝翼が数歩先を行く。
・若手コンビに触発され、中堅どころの北勝川・海士の島らも番付を上げてきた。膝の怪我で序二段落ちを隠岐の浜も夏場所新番付で初の幕下昇進を決めている。



・主な注目力士
北の若(H12 山形 190 141)
ホープたちの現在地 納谷・北の若・吉井より引用
各段優勝こそないものの、昨春のデビューから全場所5勝以上という安定感で番付を幕下上位近辺まで上げてきました。納谷や琴勝峰ですら幕下~三段目上位のところで数場所引っかかったのですが、この人は別段壁があるような気配を見せずに突破していきましたね。
型としては、従来左右どっちでもいいからリーチを生かして上手を引きたい相撲に見えたのですが、最近は右差し左前廻しの狙いが固まり出したようで、あまりに即興的すぎるよりは一つ軸になるものを持っていた方が良いだろうという点で正しい方向性なのかなと。
踏み込みも出てきましたし、手先ですが組み止めることの補助として最初突っ張るようになったのも合理的。春場所の栃神山戦で、然に非ず徹頭徹尾突ききらんという攻めが出たのはライバルに対する気迫の現れか。クールなようでいながら時折気持ちが前面に出るのも魅力的で、端正な顔立ちとともにファンを増やす要因の一つとなることでしょう。

長身足長の体型ですから、どうしても被さり気味に寄っていく体勢になりやすいところ、本人もその欠点を意識しているのか、相手と十分に胸を合わせてがぶり気味に出たり、小さい相手にも頭をつけるなど型を作ってから勝負をつけにかかる慎重な寄り身が目立ちます。
ゆえに出し投げに進展させるのも上手く、土俵に這わせるというよりは、遠心力を生かしながら土俵の外に放り出していく霧島型。また、諸刃の剣ではありますが、北の富士リスペクト(?)の長身らしい外掛けも、北の若という力士を代表する特技として用いられています。

課題は…長々と書いちゃったし、次回(半年後)でいいか。一つだけ書いておくと、立合いはまだまだ不慣れ。合わなかったり相手に立たされたりするケースが散見されるので、これから少しずつでも直していきたいですね。



北勝陽 生年:平成5年 出身:大阪府 身長:192センチ 体重:159キロ
近大相撲部では朝乃山・玉木(いずれも高砂)と同期。28年春の入門後、幕下昇進~上位近辺への進出までは順調に来ていたが、そこで出世が止まり、15枚目以内の在位は一度のみ。悩める大器の才能開花が待たれる。

立合い右でかち上げ、相手を起こしてから左四つに組み止める取り口。懐の深さは魅力も、慢性的に左膝や腰が悪く腰高のため、出足がある相手に弱く、組んでからも運び足の精度に課題を抱える。
立ち合いのかち上げは髙安のように勢い込んで踏み込んでいくスタイルだが、決して相手に圧力が伝わっているとは言い難く、却って自分を棒立ちにさせてしまう場面が目立つ。兄弟子の隠岐の海チックに…というか、もう少し慎重な取り方で(自分の動きを最小限に留め)相手を捕まえることに専念してみても良いのでは?


北勝翼 生年:平成12年 出身:福島 身長:179センチ 体重:134キロ
相撲経験を有し、中学卒業後に入門。デビューから1年足らずで三段目に進むと、30年夏には話題の納谷を下すなど7戦全勝。翌名古屋では17歳にして初の幕下昇進を果たした。1年ほど三段目との間を往復した後、4度目の幕下となった元年九州以降は定着どころかグングンと番付を上げて、2年夏場所新番付ではいよいよ15枚目以内。同部屋・同学年の北の若にも刺激を受けながら、幕下上位という次のステージへと進んでいく。

目立って体が良いわけでもないのだが、スピード出世を遂げるだけあって、相撲をよく知っている。
新幕下の場所で痛めた腰の状態は慢性的に悪そうだが、だからこそ患部に負担をかけまいと、しっかり前傾を拵え、ハズで地道に押し上げる師匠同様の型を磨き抜く姿勢は今どき珍しいほどの愚直さ。30年近い八角部屋の歴史において、これほど現役時の北勝海を思い出させる力士は記憶になく、大成した暁には是非2代目を…と期待せずにはいられない。

まだまだ相手を圧倒するような馬力・出足はないが、四つに組んでも勝機を掴むのが早く、型がしっかりしているために体力の不足を感じさせない。気がかりなのは、北勝海にも付き纏った腰の爆弾といかに付き合うかという問題だけで、この点だけは師匠に似ることなく、無事にやり過ごしてくれることを願うばかりだ。腰への影響を考えれば、体重も150キロくらいまで増えれば十分だと思う。


北勝川
 生年:平成6年 出身:北海道 身長:172センチ 体重:152キロ
旭川大高での柔道経験を経て入門。デビューから2年半で幕下昇進(27年9月)した後は膝の故障などで苦しんだが、次第に復調。29年以降は概ね幕下に定着し、さらなる浮上を期している。

師匠と同じ柔道経験者だが、早い時期から投げ技などには頼らず、重心の低さを活かした押し相撲一本。差してくる相手などに対して、片方をおっつけ、もう片方をハズや喉輪にかかって押す型がハマった際の勝ち味は実に美しい。タイプ的に近く、あっという間に番付で並びかけてきた北勝翼の存在も刺激に、「良い」力士から「強い」力士への脱皮を!まずは幕下上位定着がノルマとなる。


海士の島
(生年:平成4年 出身:島根 身長:179センチ 体重:123キロ)
隠岐の海・隠岐の富士らの隠岐郡隠岐の島町ではなく、隠岐郡海士町出身。23年夏初土俵で、24年秋場所新三段目。三段目中位で長く雌伏の時期を過ごしたが、29年秋に入門6年目で新幕下昇進を果たすと、4度目の返り咲きとなった元年名古屋以降定着に成功し、最高位を毎場所のように更新。
2年春場所に6番勝って、夏場所新番付では15枚目以内目前の東17枚目まで番付を上げてきた。角界屈指の足取り名人として鳴らしてきた異能派が、入門10年目の年に大きな花を咲かせようとしている。

代名詞でもあった足取り狙いの立合いは封印気味。左足を前に出した格好で構え、突いてくる人には左右のあてがい、差してくる人にはおっつけて対処、大きな人には食い下がっての寄り身、小兵同士なら頭四つで持久戦も厭わず…など、基本的には相手に合わせた相撲を取る。
たしかに積極性に欠けるきらいはあるが、だからこそ形を崩しにくく、また相手は相手で足取りをやってくるという警戒がある分、見てくれることが多いので、自分のペースに持ち込みやすい利点をよく生かしている。

失礼ながら、ここまで強くなるとは想像できなかったというのが率直な感想で、積み重ねてきた努力の質量に敬意を表するばかり。昨年志半ばで引退した実兄・海士錦の分まで、さらに上の番付を目指してほしい。


北勝就
 生年:平成6年早 出身:広島 身長:186センチ 体重:141キロ
広島県の強豪野球部から相撲経験なしで入門し、28年に初土俵から4年あまりで新幕下昇進。大味な取り口ゆえなかなか幕下に定着できず、体調不十分だった30年上半期には一時三段目下位まで落ちるも、下半期で盛り返して幕下返り咲き。31春には6勝と大勝を収め、翌夏場所で1年半ぶり&従来の地位を20枚近く上回る自己最高位を記録した。その後は下位での土俵が続き、夏場所新番付では1年半ぶりの三段目陥落が決まっている。

長身かつ筋肉質な体つき、脇の甘さと腕っぷし強く右で極め上げ、強引に振り回す様は「万歳三杉」こと関脇若三杉(大豪)を彷彿させる。1年前に大勝ちしたときの相撲内容も従来の延長線上にある強引な勝ち方が多かっただけに、上位定着に至らなかったのはやむを得ない。
前哨戦で突っ張るか、上手からの相撲を覚えるか。大器ではあるが、もう一皮剥けるには相撲内容の改良が必要だ。


隠岐の浜
 生年:平成9年 出身:島根 身長:181センチ 体重:157キロ
隠岐の海や幕下隠岐の富士らと同じ隠岐郡隠岐の島町出身。相撲経験を有して中学卒業後に入門(25年春場所)すると、2年足らずで新三段目入り。29年頃から上位に定着し始め、幕下目前という場所が続くも、掴みきれずにいるうち、30年九州で左膝を痛め長期休場の憂き目に。元年夏場所で復帰して序二段下位からの再起をはかること1年、2年春場所に三段目上位で5勝をあげて、漸く初の幕下昇進を手中に収めることができた。

体当たり気味に出て、右差しないし二本差し込みながらの速攻はなかなかに鋭いが、上体が反ったままで攻める癖がある。膝の不安も拭いきれてはいない現状、もう少しでも背中を丸くして、差してからの細かい技術にも関心を払えるようになっていくかどうか。そうした取り口の改善に伴い、自然と番付がついていくタイプだろう。


・その他の注目力士
隠岐の富士(S63早 島根 180 168)は、どちらの四つでも体を生かして前に出る圧力が武器。30歳を越え、やや下半身に衰えも出始めたが、攻撃力に一層磨きをかけ、上位への道を切り開けるか。

角界屈指の長身力士北勝旺(H4 福島 196 146)は、2年半ぶりに自己最高位を更新した2年春場所、4度目の幕下でも勝ち越しならず。巨東(玉ノ井)のところでも書いたが、全盛期の芳東(玉ノ井)は、必ず立合い頭でかまして先手を取っていた。同じことをすべきとまでは言わないにせよ、何か受けに回らないための方策を編み出して、先に攻め込んでから広い懐を活用するという流れを築きたい。

惜しかったのが北勝誉(H6早 福島 171 118)。未経験から入門し、初土俵から6年近く序二段を主戦場としてきた正真正銘の叩き上げ(中卒という意味ではない)力士は、入門7年目にして初の三段目定着を果たした30年の勢いそのままに中位~上位へと進出した昨年、秋場所は西7枚目で最後の相撲に勝てば新幕下というところまで行きながら無念の負け越し。以降3場所はショックを引きずったかのように精彩を欠き、夏場所新番付ではたちまち序二段にまで落ちてしまった。
北勝川よりもう一回り小さい体つきでも、正攻法を貫き、ひたすら押しの一手を高めんとする気概十分の相撲ぶりには魅力が詰まっているだけに、何とか心身を立て直して今一度幕下への挑戦権を掴んでもらいたい。







創設以来の概略については昨年度分の記事を参照。 


四股名拝見
横綱・北勝海と言えば、大関に昇進した昭和61年秋場所で改名するまで一貫して本名の保志のまま取り続けたという印象が強いが、それ以前に一度だけ別の四股名を名乗ったことがある。三段目時代の昭和55年春場所、師匠の九重(北の富士)から「富士」の字を貰って(※1)同部屋の8人が一斉に改名した時、保志も「富士若」の四股名を貰ったのだ。
しかし、この場所3勝4敗で負け越すと、九重自ら「ゲンが悪い」という理由で同様に負け越した4人(計5人)ともども本名(もしくは前名)に戻すことを提案。結局、保志はその後十両~幕内へと昇進する際にも「富士」のつく四股名を受け継ぐことなく、大関栄進時までの期間を本名のまま通すに至るのである(※2)。

もし、同場所で富士若が勝ち越し、改名を免れて(?)いたならば…というのは興味深い論題だが、富士の森が孝乃富士に、富士光が富士乃真に改名している例などに鑑みても、おそらく何処か幼名チックな富士若を名乗り続けることはなく、ほどよいタイミングで違う四股名に変えていたのではないかと思う。
大関昇進時に有力候補として挙がるも「大関が十勝ではまずい」として却下されたという「十勝富士」や「北十富士」の四股名も、別の時期(たとえば十両在位時)であれば難なく許容されていたかもしれないし、その四股名がすっかり認知されていたのなら、のちの大関昇進時、わざわざ改名するという話にはならなかった可能性も高いのだろう。
そうして北勝海を名乗らず、本名の保志も入門1年足らずで改めていたのだとすれば、のちに部屋持ちとなった際の命名スタイル(「北勝~」や「保志~」)も大きく異なっていたことに違いない。


※1 富士ヶ岳→富士ヶ嶽だけは、既に「富士」系の四股名を貰っていた力士によるマイナーチェンジであった。

※2 富士若以外の4人も、改名以後二度と「富士」系の四股名を名乗ることはなかった(うち3人はのちに「千代~」系の四股名を貰っている)。





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