峰崎部屋

<所属年寄・裏方一覧>
師匠 峰崎(元幕内・三杉磯)
年寄 花籠(元幕内・太寿山)
行司 木村銀治郎(幕内格行司)
行司 木村光之助(十両格行司)
行司 木村一馬(幕下格行司)
呼出 弘行(十両呼出)
呼出 正男(十両呼出)
床山 床明(四等床山)


<近況>
・部屋史上初&唯一の関取荒鷲が2年初場所限り引退。協会には残らず、5月末に国技館で断髪式を行う予定となっていたが、コロナ禍に伴うもろもろの事情により、来年2月へと延期されることに。現在はコーチ役として部屋を訪れているようだ。
・今月64歳の誕生日を迎えた当代峰崎。停年まで1年を切り、早ければ年内にも今後の部屋運営に関する情報が出るだろうか。



主な注目力士

豪頂山(生年:昭和62年 出身:モンゴル 身長:175センチ 体重:119キロ)
最高位幕下7枚目の実力者だが、近年は怪我も多く中位が主戦場に。元年秋・九州と好調で、2年初場所は西10枚目まで復帰したが、無念の途中休場。春は全休となり、新番付では7年ぶりに三段目まで陥落してしまった。

好調時には、鋭い踏み込みから低い体勢を維持したまま最小限の動きで中に切り込んで行く無駄のない取り口が光るも、早くに上体が起きてしまうと軽さが目立ち、故障を招きやすい強引な投げ技も課題。
30歳を越え、小さい体で幕下の土俵に上がり続けるだけに右足の怪我などコンディションも安定しきらないが、悲願の十両昇進に向け、なんとか壁を突き破りたい。

※先ごろ更新された公式サイトの集合写真および星取表に名前がなく(同様に序ノ口・峰雲も記載なし)、とても嫌な予感がしている。もちろん正式な情報は何も入っていないので、まずは続報を待ちたいと思う。


満津田(生年:平成6年 出身:長野 身長:182センチ 体重:115キロ)
柔道経験を持っての高卒入門(25年春)。突いてくる手をうまく手繰ったり、逆転の豪快な投げ技を見せるあたりは「らしさ」だが、それだけでは通じず三段目下位が長かった。
しかし、29年秋に全勝、一度も三段目50枚目以内を経験することなく幕下昇進を果たすと、翌場所こそ家賃が高すぎて全敗するも、以後は三段目上位に定着して、再度の幕下入りを間近に見据えている。

立合いは頭を下げながら小さく半歩出る形も、相手が手取りを警戒して様子を見ていると猛然と突き返し、一気に勝負をつけることも。
荒鷲を手本に立合いの鋭い踏み込みを…と言われても辛いタイプだけに、旭鷲山型の絡みつくような嫌らしさを身に着けてほしい。


大勇人(生年:平成10年 出身:京都 身長:174センチ 体重:135キロ)
中学卒業後の24年春場所入門で、小中学生時代には同学年の貴景勝や阿武咲などとも対戦している。当初の出世は順調も、右手首の怪我で休場が続き序ノ口まで落ちるなど、肝腎なところでの怪我に泣かされてきた。
それでも半年振りの三段目復帰を果たした31年初場所は、固太りの体型でガチっと当たってから怖がらず前に出る圧力が十分に生かされ、最初の一番から6連勝と快進撃。優勝こそ逃すも、大幅に更新した最高位で準ご当初の春場所を迎えると、その地位でも3勝4敗と善戦した。
以降は、令和最初の場所(元年夏)最初の一番で右足首を痛めて休場を強いられるなどまたも怪我が多く、2年春場所では序二段中位まで落ちたが、不屈の闘志で再浮上を期す。本場所再開後の大ジャンプが楽しみだ。


泉川(生年:平成9年 出身:京都 身長:181センチ 体重:123キロ)
高校相撲を経て28年初場所初土俵。四股名は泉川に撓めて出るような豪快な相撲をという意味…ではなく、たとい両のかいなを極められても諦めないぞという思いが込められているのだそう。
現に(?)その取り口も泉川とは無縁。もろて突きでの先制から喉元を押し上げておいての引き・叩きという単調な戦法ではあるが、単調であるがゆえに押しの威力が高まるほど番付も上がり、31年初~元年名古屋にかけては4場所連続で最高位を更新(西13枚目まで進出)。2年春場所では、勝てば幕下昇進という一番に敗れたものの、夏場所を初の三段目一桁となる東8枚目で迎えている。




創設以来の概略については昨年度分の記事を参照。 
今年度分では、峰崎部屋に吸収される形で平成24年夏場所後に閉鎖された花籠部屋(元関脇・太寿山)の沿革を記したい。

部屋創設は平成4年10月。元関脇・太寿山の15代花籠が二子山部屋から独立し、史上初めて山梨の地に相撲部屋を誕生させたことでも話題を呼んだが、平成8年、諸事情で東京墨田区に移転している。

かつて一代にして花籠を角界有数の強豪部屋へと押し上げた大ノ海の11代。その死後、不幸な事件により閉鎖に追い込まれていた名門が11代の孫弟子によって再興されるとあって関係者の期待は大きかったが、現実は厳しく、初めての関取誕生は平成19年の光龍を待たねばならなかった。
その光龍は23年の八百長問題で引退勧告を受けるも、彼らの大量引退によって空いた枠に飛び込んだのが荒鷲。20年秋場所後、師匠停年により閉鎖された元二子岳の荒磯部屋(来年分で詳述予定)から引き取った唯一の弟子は、幕下上位の地位で1点の負け越しを喫しながら空前のラッキー昇進によって新十両を決めたのである。

20年以上に及ぶ歴史に幕が下ろされたのは、荒鷲の新十両からおよそ1年が過ぎた24年5月。15代花籠は経営難を理由に部屋閉鎖を届出、自らをはじめとする力士・年寄・裏方10数名は峰崎部屋への転属が決まった(※1)
今年初場所限りで荒鷲が引退したことにより、現在旧花籠勢の所属力士は光源治と若肥前の2人を残すのみとなっている。


※1 このとき、幕下5枚目まで上がった力龍・同20枚目台まで行った太萌山の古参2名は新部屋へと移ることなく引退を決意。創設初期から在籍してきたベテランコンビの断髪式は、夏場所千秋楽、花籠部屋最後の打上パーティー席上にて行われた。