尾車部屋

<所属年寄・裏方一覧>
師匠 尾車(元大関・琴風)
年寄 押尾川(元関脇・豪風)
年寄 中村(元関脇・嘉風)
呼出 禄郎(十両呼出)
床山 床豪(一等床山)
世話人 錦風(元幕下・錦風)

<近況>
・豪風・嘉風の引退、友風の大怪我・矢後の不振が重なり、18年ぶりとなる関取不在に…
・加えて、幕下中位以上の常連クラスだった野上も膝の怪我で元年九州~2年春まで3場所連続休場中。
・悪い話ばかりではない。学生出身・栄風と高校相撲経験者・竜風の同学年コンビが2年夏場所で同時新幕下昇進。膝の大怪我から復帰以降7場所連続勝ち越し中の天風も幕下中位まで返り咲いてきた。




主な注目力士
野上(生年:平成2年 出身:青森 身長:176センチ 体重:152キロ)
師匠の現役時四股名「琴風豪規」から下の名前(豪規の方)を貰い受けるほどの期待株だが、近年は膝や腰の慢性的な故障に苦しんでいる。
自己最高位の幕下8枚目で迎えた元年秋場所もコンディション不良は明らかで無念の全敗。翌九州初日の取組を不戦敗で休むと、以後春場所まで休場が続いている。夏場所新番付ではついに序二段まで地位を下げてしまったが、まずは怪我の回復に十分な時間を費やすこと。幕下時代の朝乃山を左おっつけからの厳しい攻めで一方的に退けたこともある出足の復活を待望してやまない。


竜風(生年:平成5年 出身:秋田 身長:185センチ 体重:124キロ)
部屋付きの押尾川(豪風)と同じ金足農高相撲部出身。24年初場所のデビューから8年かけて新幕下の地位を掴み取った。
従来の最高位東23枚目から遠ざかること2年、最近は三段目中位~下位に安住しかけていたが、令和2年初場所6勝~同春場所5勝の大勝ち2回であっという間に幕下へ。関取不在となった部屋に朗報を齎すことができた。

長身かつ腕っぷしが強そうな筋肉質の体型、体は硬く決して腰が下りる方ではないものの、そうした自分の体型に見合った腰の位置、力の入れ具合にコツを見出しつつあるようだ。一度も三段目20枚目以内を経験することなく幕下へ上がっただけに、当初は家賃の高さを感じるかもしれないが、体力的にも技術的にもまだまだ素材として底を見せていない分、一度跳ね返された後の挽回ぶりにこそ楽しみが募る。

栄風(生年:平成5年 出身:岡山 身長:181センチ 体重:155キロ)
市川高~日体大を経て、中村親方(嘉風)の内弟子として入門したのが平成28年夏場所。29年初場所で三段目に昇進するも、その後が長かった。実に3年の月日を費やし、令和2年夏場所でついに新幕下。奇しくも同学年の高卒・竜風とのアベック昇進であった。

右四つの型を持つものの、胸を出して受けがちな取り口、脇が甘く抱え込みやすいこともあり、出足のある押し相撲や低く組みついてくる相手には分が悪い。相撲が相撲だけに右膝の分厚いサポーターも手放せず、そのあたりが長く三段目に留まっていた要因と言えるだろう。
幕下昇進を決めた2年春も5勝のうち3勝が小手投げと課題を残す部分もあるにはあったが、勝利への執念、幕下入りへの強い思いが結実。当確の5勝目をあげて引き上げる土俵下では思わず拳を握るような姿も見られた。
竜風同様、一度は弾き返される公算こそ高いが、肝腎なのはそこから先。立ち合いでかませるようになりつつあるのは明るい材料で、すぐに上体が起きてしまいがちな部分などを改善しながら地道な強化を。番付の上では来年にかけての幕下定着を目指したい。


藤川(生年:平成13年 出身:佐賀 身長:173センチ 体重:130キロ)は、中学卒業後の入門から1年足らずで三段目昇進も、その地位で迎えた30年初場所に膝の大怪我を負い、以後名古屋まで連続休場を強いられてしまった(7番目の相撲で復帰)。
序ノ口まで落ちた秋場所で本格復帰を遂げて以降の成績は順調、元年名古屋にはそれまでの最高位を30枚以上更新しているが、膝の状態は依然回復途上の感。力量の近い相手との対戦においては負荷が大きく、時折あっと声が出るような崩れ方をすることも…
そうした自身の体調も考慮し、無闇に前へ出ようとするのではなく、上下のバランスを適性にはかりながら…という意識は感じ取れるだけに、具体的な結果として実るまでもう少しの段階と見る。

新潟・海洋高校相撲部を経て2年初場所初土俵の竹岡(H13 東京 173 104)、同春場所デビュー、中村親方のスカウトを受けて中学卒業後の入門を決意した西田(H16 福岡 181 141)も新時代の部屋を担うべき期待株だが、まだまだサンプル不足の状況ゆえ、詳述は来年度以降としたい。




創設以来の概略については昨年度分の記事を参照。
今年度版では、平成17年、尾車部屋に吸収される形で姿を消した大麒麟(17代押尾川)の押尾川部屋について書こうと思う。

もはや昔話はおろか歴史になってしまった感もあるが、「押尾川の乱」と称される二所ノ関部屋からの独立問題はこじれにこじれて泥沼化。最終的には幕内・青葉城(のち関脇→11代不知火として押尾川部屋付き年寄に)以下6人を引き連れての部屋創設が認められるも、移籍を許されず意気消沈した幕内・天龍の廃業という悲劇をも生んでしまった。
この騒動について詳しく書き始めると、コラムの域を軽く超えてしまう。∴ひとまず措いておくが、余裕があるようなら来年度分以降に取り組んでみたい。

難産の末の独立劇には当初厳しい目も向けられたが、各自の個性を的確に伸ばす押尾川の手腕は間違いなく一級品。関脇・益荒雄を筆頭に8人(独立当初すでに幕内力士だった青葉城を含めれば9人)の幕内力士を育て上げ、一代で独立元の二所ノ関(あるいは二所ノ関部屋の先輩・大鵬)を上回るほどの勢力を築き上げた。
惜しむらくは、益荒雄・騏ノ(乃)嵐という大器が怪我によって豊かな前途を閉ざされてしまったことだが、上位初挑戦場所で3大関を倒した遅咲き恵那櫻、児童養護施設の出身で苦労して幕内に上がった佐賀(嘉)昇、蹴手繰りの一芸が印象深い日立龍、甚句の名手としても知られた大至ら、取り口も体型もバラバラな力士たちがそれぞれのスピードで出世し、たとえ大きく地位を落としても我慢強く再起していった姿は、好角家の心に見かけの最高位や成績以上の記憶を残している。

晩年に至っても、若兎馬、若麒麟、壽山など関取の輩出は続いていたが、出世頭の益荒雄とは独立の際に揉めて疎遠。それ以外の候補は青葉城の不知火を残し、全員が協会を去っていたため後継者の問題に突き当たる。ひとまず6歳年下の不知火に受け継ぐ道も採りうるところ、押尾川は停年まで3年ほど余裕があった平成17年3月いっぱいでの部屋閉鎖を決意。こうして繁栄を謳歌した押尾川部屋の歴史は一代にして静かに幕を下ろしたのである。

令和2年、益荒雄の阿武松が相撲協会を辞職したことにより、押尾川の直弟子で協会に残るのは、今も尾車部屋で現役として頑張っている飛燕力に加え、呼出の3人(尾車部屋の禄郎、大嶽部屋の志朗&吾郎)と錦戸部屋に移籍した床山1人(床中)の5人だけになってしまった…
とはいえ、センチメンタルな気持ちを和らげてくれる存在として、ここのところ地方場所のabemaTV大相撲中継に元・若兎馬が定期出演を果たしているのは嬉しいもの。現役時から「コメント横綱」と呼ばれ、引退後一時期押尾川を名乗りNHKの解説者をしていた頃にも能弁ぶりは目立っていただけに、より砕けたトーンで話せる場において、その解説ぶりが好評を博するのも自然な話と言えるだろう。




にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村