土俵一路

本場所中の更新に加え、場所と場所の間は花形力士の取り口分析、幕下以下有望力士の特集などを書いています。 「本場所中も本場所後も楽しめる」をコンセプトとして、マイペースかつストイックに我が道を往き続けます。                他サイト等への転載はご遠慮下さい。

2017年02月

肩にかかった砂を払おうともせず、傲然としてひきあげてゆく(中略)反感を持つ見物の眼には憎々しく見えたのであろう。
傲慢不屈な態度は、しばしば観衆から憎まれる場合が多い(中略)その不遜さに徹して、堂々と土俵にのぼった力士だった。
傲慢不屈さの故に毀誉褒貶半ばする運命を甘受しなければならなかった。 


これらは、いずれも小説家尾崎士郎が「國技館」という著書の中で、とある力士について触れた文章である。
作者のことをよく知らないファンならば、一目見て「北の湖のことだろう」と考えるのではないか。しかし、作者である尾崎は北の湖が角界に入門する(昭和42年)より早く、昭和39年にこの世を去っている。

では、誰か?答えはズバリ戦前・戦中にかけての名横綱玉錦、その人である。一回り北の湖の方が大きいとはいえ、丸っこい体つきから、少しく残された幼さが「怪童」の感をより強調する顔つきに至るまで大変よく似ており、さらに言えば、まだ全盛期が続くかに思われた時期、猛然と追い上げる新たな時代の寵児が現れ、玉錦は急逝、北の湖は相次ぐ怪我により、晩年と呼べる時期を謳歌することが出来なかった境遇にもどこか共通するものを感じさせる。
仮に尾崎が60代にして亡くならず、もう15年あまり生きて北の湖の堂々たる横綱ぶりを観ることがあれば、当時世評に溢れていたような、その「傲慢なる」憎らしさをいかなる表現をもって記しただろう。往年の玉錦と重ね合わせたかもしれないし、勿論まったく違う印象をもって評したかもしれない。


稀勢の里という力士も、元より先代師匠の教えに従って決して崩すことのない表情が、仏頂面だとか傲岸不遜だとかで、まさに「毀誉褒貶半ば」すること数多く、スピード出世の経歴なども相まって、入幕当初から「北の湖の再来」と噂されることもしきりであった。
しかし、その後大関魁皇や千代大海の衰えが否定しがたいところまで達するようになると、次第に持ち前の(?)「ヒール」的な素養は影を潜め、多くの観衆は稀勢の里という力士に、外国出身力士に対抗する「日本代表」一番手としての役目を託すようになる。その大きなキッカケとなったのが、やはり22年九州、白鵬の連勝を63にてストップさせた一番であったように思う。

翌23年九州後には大関昇進。さらに翌24年の夏場所では白鵬が前半から崩れたことにより、絶対的に有利な状況で優勝争いの先頭に立ち、終盤戦を迎えた。当時26歳の大関昇進3場所目。もし、このタイミングで初優勝の栄誉を手にしていたならば、同年中には日馬富士や鶴竜に先んじて綱を張り、観衆が63連勝ストップを経て抱いた「期待」にのみ応え抜く名横綱として、白鵬との二強時代を築き得たのかもしれない。
しかし、結果は周知の通り、まさかの崩れで4敗を喫して優勝を逃す。そして、この後も大関として絶大な安定感を誇りながらも、再三に渡り、もう一歩で賜杯に届かない状況が続いていった。

そうした中で、いつしか観衆の稀勢の里を観る眼は、駆け出しの頃の「憎々しさ」を愉しむものでも、外国出身力士への対抗軸としての「強さ」だけを求めるのでもない、一言で表すことができないほどの複雑さを帯び始める。
ときに見せる圧倒的な強さへの感嘆、そうかと思うと格下相手にコロッと星を落としてしまう脆さへの戸惑い…
唯一言えることがあるとすれば、相撲世論は決して稀勢の里を見放さなかった。言葉で容易に表現できないようなところにあるものを好むとされる日本人的な特性が、この強くて脆い大関の魅力を愛してやまず、愛情、同情、愛憎…さまざま入り混じった思いの丈を大いに表明し合った。
こうした状態は24年の夏に初優勝を逃して以降、基本的には止むことなく続いてきたが、去る初場所での初優勝と横綱昇進を経て、ようやくひとつの区切りを迎えることとなりそうだ。

※絶対的に強い者ではなく、強かったり脆かったりする者に最大の注目と関心が集まり続ける現象は、朝青龍はともかく、日本人以上に日本の心を身につけたと言われる白鵬にさえも充分に咀嚼することは難しかったらしい。
それゆえの不幸なすれ違いが二度三度生じ、一部の心ない観衆の行動がその孤独をいっそう深めた経緯は決して忘れ去ってはならぬ教訓であろう。


今でも時々、稀勢の里が圧倒的な強さを誇り、優勝争いにおいて一人旅を続けるような場所が続いていれば、やはり往年の北の湖、そして尾崎氏が言う玉錦のような「ヒール」役を演じることになったのだろうかと考えることがある。
あるいは、向こう何年かそういう時期が来ないとも言い切れないが、すでに長い大関時代において、悪役とは成り得ない背景が出来上がってしまった以上、「強すぎるゆえに憎まれる」という存在にはならないだろう。


先の玉錦が全盛を築いたのは昭和一桁から11年に最後の優勝を果たしたあたりまで。次いで北の湖が黄金期を形成したのが玉錦の全盛期から40年ほどを経過した昭和50年代前半~55~6年にかけての頃であろう。
そして、北の湖の全盛期からまた40年ほどが過ぎ、稀勢の里という横綱が生まれる。時代に意味づけられた役目こそ異なるが、新横綱の堂々たる佇まいはきっと二人の偉大な先達にも劣ることなく、後世へ語り継がれるに違いない。

昭和59年夏場所。度重なる怪我などにより、まる2年以上も賜杯から遠ざかっていた横綱北の湖は、然しこの場所絶好調。初日から12連勝で迎えた13日目も、2敗で追う千代の富士との横綱対決に完勝し全勝を守ると、勝ち残りの土俵下へドッカリと腰を据える。見上げる土俵の先には、2敗の隆の里と自身の弟弟子にあたる北天佑の姿。
しかるのち、北天佑、見事勝ってこの瞬間北の湖通算24回目の優勝が決まるのだが、それから北の湖は勝ち残りの土俵から下がろうと腰を上げた刹那、援護射撃を果たした弟弟子と目が合うと、いかにも愉しそうにニヤリと笑うのである。
この日の夜、師匠の三保ヶ関親方を交え、三者が目にうっすらと光るものを浮かばせながら、ささやかな祝杯を上げる様子も含め、大横綱北の湖最後の優勝、あるいは最後の輝きを象徴する光景として、今も色褪せぬ名場面と言えるだろう。

そんな北の湖の表情と殆ど同じものを平成28年の土俵に見つけたものだから驚いた。新横綱稀勢の里が昨年の春から秋場所あたりにかけて、花道・土俵下・土俵上などでしきりに見せていたあの「謎の笑み」である。
これ自体、あくまで本人の中におけるリラックス法の一つであろうことからも、本来あまり面白おかしく取り上げるべき事柄ではなく、当ブログでも本場所観戦記の中で触れることはなかったし、今後においても具体的にアレコレと考察するつもりはない。
ただ、今回を最初で最後として、当時見たまま感じたままを率直に述べることを許してもらえるならば、やはり「北の湖に似ている」という印象が非常に大きかった。
そして、これも決して適切な表現でないことは承知の上なのだけど、春・夏と、暫くの不調が嘘のように、あの「笑顔」を携えながら連勝街道を走る姿を見て、直感的に前年亡くなられた北の湖理事長の魂が乗り移ったのではないかなどという考えが頭をよぎったのである-この2場所の稀勢の里はそれほどまでに強かったのだ-

勿論、筆者は妙な思想に取りつかれているわけでなし、それらがあくまで直感的、瞬間的な感情であることは言うまでもない。とはいえ、夏場所13日目、あの白鵬との全勝対決に敗れたその一番が、49年名古屋、北の湖が輪島の前に本割・決定戦と連敗したときの内容とあまりにも似ているものだから、またもオーバーラップするものを感じて、結果的に今に至るまでぼんやりと長く心に留まり続ける「思い」になっていた。



※稀勢の里昇進記念連載、遅くなりましたが第1回目を更新しました。これより3月上旬辺りまで、全10回前後を費やして、歴代の色々な横綱を引き合いに、新横綱稀勢の里のこれまでとこれからをさまざま書き連ねてまいりたいと思っています。


伝言板でも記したとおり、こちらでは「平成29年中十両昇進を果たしそうな力士」に絞って予想を立ててみます。
改めて引用すれば、従来版を「高校生ドラフト」とするならば、後者は「大学社会人ドラフト」のようなもので、純粋な「即戦力」を見抜く必要があるということ。
大体1年間の新十両力士は、新年以降に付出しでデビューする人たちも含め10人前後ですから、あまり枠を拡げすぎるのも良くないということで、一先ず20位までを作成。
そして、新年以降付出しでデビューする人たちの顔ぶれが固まり次第、上限5人までを追加可能というルールにしてみます。

栃丸  春日野 H4年 171 160
海龍  出羽海 H2年 178 136
貴源治 貴乃花 H9年 188 143
   木瀬 H3年 176 164
岩崎  追手風 H4年 174 114
天空海 立浪 H2年 183 169
石橋  高砂 H6年 188 160
貴公俊 貴乃花 H9年 186 140
白鷹山 高田川 H7年 184 140
10武玄大 藤島 H元年 179 116
11彩   錣山 H4年 179 133
12霧馬山 陸奥 H8年 184 100
13朝日龍 朝日山 H7年 183 124
14琴太豪 佐渡ヶ嶽 H5年 188 132
15舛の勝 千賀ノ浦 H6年 183 140
16剛士 荒汐 H5年 185 123
17玉木 高砂 H6年 180 135 
18大成道 木瀬 H4年 180 148
19勝誠 境川 S61年 168 125
20朝興貴 高砂 H2年 185 127 

29年デビュー学生出身力士特別枠
1トゥルボルド 錦戸
2矢後    尾車


2月12日
とりあえず付出し力士verも第一弾更新ですが、まだ夏場所以降にデビューする人がいるかもしれず、最大5人という設定ゆえ慎重に決めなければなりません(そもそも5枠すべて埋める必要もないわけですしね)。
…ということで、よほど順調に出世しなければ来年初場所の番付までに十両昇進という目標を叶えるのは厳しい三段目格の二人については、夏場所デビュー組の動向を待ってから最終的な結論を下したいなと。

 
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