土俵一路

本場所中の更新に加え、場所と場所の間は花形力士の取り口分析、幕下以下有望力士の特集などを書いています。 「本場所中も本場所後も楽しめる」をコンセプトとして、マイペースかつストイックに我が道を往き続けます。                他サイト等への転載はご遠慮下さい。

Category:力士別分析 た行 > 隆の勝

隆の勝伸明 出身:千葉 生年:平成6年 所属:常盤山 身長:184センチ 体重:164キロ

平成29年(幕下時代)の記事はこちら
2年春場所後の特集記事はこちら



<立合い分析>
まずは頭で一つバチンとかまして当たり勝ち、起こしたところへ入り込んでいく右差し速攻で急上昇。
格上の右四つ本格派相手には誘い込まれやすい点が懸念されるところ、右ハズ左おっつけのみならず、左から攻めると見せかけての右突きでカウンターを繰り出して後退させる手順も。
また、左四つにはやや右に出ながらの右おっつけ、もろ手突きなりで先制してくる力士にはあてがいなど相手の特徴に合わせた対応を見せており、一定の柔軟性を具えている。

課題としては、上体が起きる癖を突かれたときの対処。少し早く立って下に入り、出足早に攻めきった妙義龍、意表をつく張り差しで起こしにかかった翔猿(いずれも2年九州)、一歩目の早い踏み込みと腰を崩すための回転良い突っ張りで反撃のいとまを与えなかった3年初場所の玉鷲・大栄翔など、対戦を重ねる中で相手も確実に隆の勝の弱点を見出し、逃さず追及してくるようになった。
真っ向から自分の圧力を伝えさえ出来れば既に大関級、また安易な変化も食わないが、今後は微妙に呼吸や位置をずらされてしまったときに生じる隙を減らしていくことが必要となる。

上体なり目線のブレを小さくするという意味では、体も十分過ぎるほど大きくなった今、たとえば相手によって頭でかまさないという選択を増やしても良い時期ではないか。
現在でも上体を起こして右差しに行くケースは時々あるが、より確固たる型として身につけ、ぶちかましと併用できる水準にまで高めていきたい。
右足踏み込みで上体を起こして立つ左差し狙いと、左足踏み込みでぶちかまし、左おっつけを生かして攻めるのとを使い分けたのが往年の稀勢の里。得意四つは反対だが、隆の勝にとって参考にすべき点はあるかもしれない。



踏み込み足
:右足 

手つき
:右ないし両手を下ろして相手を待つ場合と、後から腰を割ってほぼ同時に両手を下ろしていく場合とがある。ヒジを内側へ引き込むような動作を加え、標準よりは後ろ目に手を着くタイプ。

呼吸
:時間いっぱいの仕切りで腰を上げてから、一度大きく胸を反らす仕草を入れるが、反り方の小さい日やほとんど反らない日もある。
呼吸具合は適切だが、後から手を着いていく場合には、上記のようにやや特殊かつ一定した手の着き方をするため、相手の早い立ちを許しやすい。
<立合い分析>にて記した弱点の部分とも重なる要因で狙われ始めている感もあるだけに、直せるならば直したい。




<攻防分析>
右差し左でおっつけながら前に出るときの圧力については、今や広く知れ渡りつつある。ピタッと上体を密着させて突きつけ、土俵際ではふっと力を抜きながらぐわっと腰を下ろしていく、適正な膝の開き具合も含め、文句のつけようがない。
同時に指摘したいのが守りの強さ。右を差せれば一番良いのだけれど、差せなくとも半身加減に腰を決めておっつけ(外ハズ)の格好に入りさえすれば、ここでも稀勢の里の名を思い出させるほどに堅牢な要塞と化す。

課題は、立ち合いの項で書いた内容にも通じる前後の揺さぶりに対する脆さ。立ち合いの正面衝突を避け、腰を据えてしまうより早く勝負をつけにかからんとする共通認識が対戦相手の中でもだいぶ浸透してきたようだ。
支えるものがなくなったとき、即ち(立合いの揺動を喰った後)攻められているときには回転良く突っ張られること、前へ出ようとしているときにはつっかえ棒を外すようにサッと前へ引く動きを加えられることが脆さを助長する。
かつての栃煌山にも言えるが、元来体が硬いことにも由来するこのような負け方は、内容面でどうしても消極的なイメージがつきやすく、もう一つ上の地位を目指すにおいて、工夫・改良が不可欠。この難題と向き合い、また古傷である右膝のコンディションにも留意しながら、着実に前へ進んでもらいたい。









にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
続きを読む

舛の勝伸明 出身:千葉 生年:平成6年 所属:千賀ノ浦 身長:183センチ 体重:144キロ

<プロフィール>
デビューは、輝・千代皇・照強・千代桜(引退)らと同じ平成22年の3月。達、照強と同じ中卒叩き上げ世代で、当初はさほど注目されていなかったものの出世はきわめて順調。デビュー翌年(23年名古屋)に三段目、さらに翌年(24年夏)には幕下へと入り、25年には両者にほぼ追いつく形で幕下上位が見える位置にまで進出していく。
その後は幕下の壁に苦しみ、数度の三段目陥落も経験しつつ、15枚目以内初進出は新幕下昇進から3年を経過した27年5月。この頃から地力安定すること著しく、幕下中位以上に定着すると、28年は本格的な上位挑戦の年に。
秋には初の15枚目以内勝ち越しで翌九州は初の一桁番付。跳ね返されたものの、新年初場所は5勝2敗と盛り返し、来る大阪を最高位近くの番付で迎えることになりそうだ。
既に輝や千代皇は幕内、照強は十両力士として活躍する現状ながら、まだまだ追撃可能な距離にいる。平成29年をいよいよ十両昇進の年とし、同期出世争いにおいて、一躍クローズアップされる存在へとのし上がりたい。


<取り口>
はじめて幕下に駆け上がった来た頃から変わらず、体幹の強さを生かし、もろハズにかかって中から相手を押し上げる構えが非常に綺麗な力士で、左右いずれからでも出せるおっつけも交えた前傾姿勢を貫く押し相撲が持ち味。
停滞していた時期の要因としてまず挙げられるのは、なかなか130キロほどから体重が増えず、相撲に重みがつかなかったことや、停滞が長引くことで相撲内容に雑さや消極的な面が生じていたこと。
この点、昨年の半ば頃からグッと体に厚みとふくらみが増し、140キロを越える体重が身についたことによって、状況が大きく前進し始めたことは間違いない。

それとともに、これももう5年ほどは前になるのか、最初に観たときからパッと気付くものがあった特徴として、立合いで両足跳びになるという癖があった。
両足跳び自体、使い道次第という面があるので、意図的に用いる分には一般で言われているほど忌み嫌う必要はないというのが持論なれど、この人の場合は出足を活かした押し相撲が魅力だけに、立合いに両足で跳ねてしまうと、どうしても次の足がスムーズに運べず、元々やや内股で足が流れやすいのもあいまって、前に落ちやすい原因となっていたように思う。
加えて、良いときは頭ともろ手気味に出していく手がほぼ同時に相手の体を捉え、二の矢の突き放しが効果的に放たれていくところ、精神的な硬さや力みが影響するのか、時折頭だけが突っ込んで前のめりになり、的確に相手の体勢を捉えることができず、上下ともにバタついたところをいなされたり、伸び上がったところで四つに組み止められたりという場面も少なからず見られるところであった。

自己最高位の6枚目まで上がって迎えた昨年九州では、もろにこの欠点を突かれた形での敗戦が続いて1番目の相撲から5連敗を喫した通り、現在も完全に克服されているとはいえないものの、幕下上位に安定し始めた昨年以降、やはり改善の跡は随所に見られている。
中でも大きいのが、考え方自体の変化というべきか、相手を一気に押し込んでいくことに拘り過ぎず、足運びの遅れに上体を合わせて使えるようになってきた点だろう。立合い一つ当たるのは変わらないが、その後の攻めで攻め急ぐことなく、前傾で相手の突きを跳ねあげるなり、差しに来る動きをおっつけるなりしながら、そこに追いついてきた足の動きを合わせて出足をつけるために、低い位置から安定した押し相撲を展開することが叶い、相手にいなす間を与えず、寧ろまともに引き・叩きを出させるような攻めに結びつけることができるようになったのだ。
また、そもそもの足運びについても、地道な下半身強化による成果で、以前ほどは極端に顕れることはなくなっており、継続した取り組みによって、いっそう欠点の解消に近づけるかもしれない。


<今後の展望>
どちらかと言えば硬くなりやすいタチのようで(時間いっぱいの前に大きく胸を反らせる動作を入れるのですが、あるいはそういったメンタル面を考慮し、ルーティンの一環として取り入れているのかも)、そのことがどうしても立合いの一定を遠ざけ、もう1つ2つと勝てるだけの地力がありながら、今一歩掴みきれていない感がある。
しかし、努力と積み重ねの人という評も数多く、昨年来の貴乃花一門加入により、同部屋のホープ貴源治・貴公俊や、同一門である阿武松の関取衆らと多く稽古が出来るようになった環境も追い風に、日々少しずつでも自信がついてくれば、立合い少しくらい当たり負けや当たり遅れがあっても、十分に挽回できるという心の余裕が生まれ、よりスムーズに自分の思うような相撲が取れるようになるはず。そして、それがいっそうの自信に繋がっていくという好循環で、近いうちの新十両昇進も視界に入ることだろう。
まだまだ秘めたる能力を発揮しきれていない人ゆえ、年初の有望力士ランキングでも20位台に留めているが、今後どこかで大化けする可能性は十分にあり、その際には幕内上位以上への進出も夢ではなくなってくるように思う。

 続きを読む

↑このページのトップヘ